日之丸記

気になったコト、記事にしてマス

バンカラジオ短編【大切なもの】

前回の話はこちら

 

「さて、どうしたもんかのぅ…」

 

あれからボクたちはバンカラ街のロビーに集まっていた。

そこにはボクらすりみ連合の他にNew!カラストンビ部隊の3人と、ロビー端末の画面を通じてテンタクルズの2人が揃っていた。

ボクの目の前で華麗にチャクチした無言のインクリングの正体はNew!カラストンビ部隊の指令を務める人物だったようで、腕を組み、ただならぬ強者のオーラを放ちながら皆の会話を聞いていた。

「先ほどもお伝えした通り、今この世界には未曾有の危機が訪れています。それはビッグビッグランを引き金にして起こった大規模な海面上昇です」

「そうか!さっきの揺れは満潮がはじまる前兆だったんだね」

「はい、マンタローさんのおっしゃる通り、サーモンラン発生時の満潮に酷似した事象が各地で起こり始め、既にハイカラ湾では水位の上昇が確認されています」

「あとどれくらいでここに到達しはるんです?」

「おおよそ3時間後、日付が変わる頃にはバンカラ街を含む全ての主要都市が水没すると見込まれています」

「それって、つまりどういうことじゃ?」

 

「明日には世界が終わるってこと!!」

 

「なんじゃと〜?!」

 

皮肉なことに進化を遂げ、陸に上がった海洋生物達に待ち受けていたのは数時間後に押し寄せる海面上昇によって海の藻屑となる運命だった。

 

「状況を整理すると、先ほど街全体を襲った大きな揺れは、我々の住む大陸から遥か遠く離れた海の底で起こった大地震です。それがきっかけで海底の火山活動が活発になり、現在も進行している形で急激な海面上昇が起こっています」

 

明日、世界が終わるとしたら?

たしかフェスのお題でカミ様からそんなお告げがあったのを覚えている。

つまりあれは、これから起こる未来を予言していたことになる。

 

「想像以上にやべー事態だな」

「こうしちゃおれん!今から海水浴にライブにBBQじゃー!」

「ウツホちゃん落ち着いて、しのごの言っても仕方がないよ。ボクたちで助かる方法を探そう!」

 

それから、様々な解決策が飛び交った。

 

「ロケットを作って宇宙に逃げるのはどうじゃ?」

「作ってる間に溺れてまうやろ」

「あーもう!難しいこと考えんのは性に合わねー!」

反復横跳びして海面上昇に備えるヒメ。

「アオリちゃん何飲む?」

「アタシ、アゲバサミサンド食べたい!」

ロビーの売店で買い食いするシオカラーズを見てフウカが呆れてたずねる。

「アネゴはんたち、こんな時になにしてはるんです?」

「なにって、腹ごしらえだよ!」

「腹が減っては戦はできぬって言うしね」

一見マイペースを貫いているように見える2人の行動だが、実は理にかなっていた。

これから起こる事態に備えて英気を養う。長年、アイドルとして第一線で活躍してきた彼女たちは芸能界という戦場で生き抜く術を熟知しており、あえて普段通りに振る舞いながらも物事を慎重にとらえているようだった。

「ホタルちゃん、これ食べて見て!すっごく美味しいよ!!」

 

「・・・」

「もぐもぐ、指令も食べたい?」

「・・・」

「違った。えっと、キューインキで吸うのはどうだろう?だって」

限りなく無音に近い指令の言葉をドリンク片手にホタルが翻訳した。

「世界を覆ってしまうほどの海水を吸えるキューインキがそもそも存在しません。もし仮に吸えたとしても放出できる場所がないかと…」

絞り出した意見をイイダに一蹴され、指令は少しうなだれて落ち込んでいるように見えた。

「そういやバンカラ街のマンホールからオルタナへ行けるよね?」

「はい、クレーター付近に出られますのでそこから降りればたどり着けますが、入口の穴を塞いだとしても我々全海洋生物が入れるだけの広さはありませんし、オクタリアンの地下基地でさえ水没する可能性があります」

何かヒントはないか、とマンタローはあたりを見渡した。

エスプレッソマシンの見た目をしたリスポーン用の『スポナー』を手に持ち、シオカラーズの2人が話し始めた。

「これ5年前にはなかったよねー」

「ドローンみたいに空を飛べるようになったらしいよ」

スポナーと呼ばれるその機械はナワバリバトルなどで用いられるスタート地点のことだ。

以前までは埋め込まれる形式で床に設置され、ハイカラシティやハイカラスクエアのロビーと各ステージ間を繋いでいた。

バンカラ街が急速な発展を遂げた頃からスポナーの小型化が進み、技術が進歩したことで目的地まで自立して飛行できる機能が付けられるようになった。

 

「インクの中に入ってどこか別の世界に行けたら…」

マンタローがつぶやくとイイダが何かに気づいた素振りを見せる。

 

「ネリバース!」

 

次の瞬間にはロビー端末が画像編集ソフトの画面に切り替わった。あっという間に画面には海洋生物が住む地上の世界と地下にある拠点を電波で繋ぐような構図が描かれ、地下世界には電車が走っていた。

「でもあれって仮想世界なんだろ?」

「センパイの言う通り、あれは現実には存在しない空間ですが、我々の意識とタマシイを転移できます」

「ネリバースに避難するっていうのか?」

「そうです。以前、ワタシとセンパイとハチさんで実証済みなので技術的に可能なことは証明されています」

「あの時はサンザンだったなー」

 

※ネリバースとはネル社によって消毒され、自我を失ったタコなどの被害者を救うためにイイダが開発した仮想世界のこと。

秩序の世界を望むプログラム「オーダ」にイイダもろとも支配され、ヒメと8号もこの秩序の街に精神を無理矢理取り込まれた過去がある。

 

「ネリバースに転移した後の体は抜け殻になってしまいますが、スポナーにはオクタリアンが使うヤカンに似た転送装置の機能も備わっているので、ネル社にある装置を使って体のデータをスキャンしておけばいつでもスポナーからリスポーンすることができます」

「街は洪水に呑まれちまうかもしれねーが、水が干上がったあとにリスポーンすれば元通りってわけだな?」

「はい、個々の体の情報はネリバース同様、地下深くにあるネル社の最重要施設で厳重に管理されているサーバーに保管されるので体が消失する心配はありません」

「ほほう、それは安心じゃな」

「ネリバース内は電子空間なので体が衰えることはありませんし、海面から再び地上が顔を出すまでの間、何不自由なく過ごすことができます」

「外の空気が吸えなくなるのは癪だけど、他に手がないならそれしかねぇな」

ナワバリバトルの普及が進んでスポナーは一家に一台はあるものだし、今は壊れていたり、もし持っていない人がいたら各地のロビーにある貸し出し分でまかなえるはずだね」

 

「ですが…」

困り顔でイイダが手を上げた。

 

「ここまで話しておいて、何か重大な問題でもあんのか?」

「それが、現状ネリバースへはワタシの持っているナマコフォンを経由してからでないとアクセスできません。なので、みなさんがお持ちのスポナーから転移するにはそれぞれの機器自体のプログラムを更新する必要があります。方法としては各都市のタワーから更新用プログラムを電波にのせて発信するやり方で実現自体は可能なんですが…」

「なにが問題なんどす?」

「ただ、それには莫大な電力が必要で、幸いにも各タワーにはオオデンチナマズがいらっしゃるようなので電力の確保には問題ありませんが、その充電が溜まるまで多少時間がかかりまして…」

「どのくらいかかるんじゃ?!」

「それが、3時間ほどかかってしまいます」

「ギリギリではないか!」

「ワタシの計算ではなんとか間に合うはずなのですが、充電が溜まり次第どなたかが現実の世界で電波を発生させる起動スイッチを押さないといけなくて、ワタシはその間にネリバースの拡張と諸々の調整をしなければなりませんので…」

 

「その役、ボクがやるよ」

 

「マンタローはん…!!」

「いつも2人には迷惑かけてるから、こんな時こそ役に立たせてよ」

「そんな、ワシらも一緒に…」

「2人にはバンカラジオで街のみんなにこのことを伝える重要な役割が残ってる」

「それは、そうじゃが…」

「曲づくりとかで2人よりは機械の操作には自信があるし、人にはそれぞれの役割や得意分野がある。だからこの役はボクにまかせてくれないかな?」

 

目を潤ませながら語らい合うすりみ連合。

「そんなにハッキリ言いはるんならここはマンタローはんに…」

「ワシらは3人揃ってすりみ連合じゃろ?」

 

「甘えるんも大概にしぃや!!!」

 

 

フウカの本気の怒鳴り声にその場の空気が凍りつく。

 

「マンタローはんの決意を踏みにじるんはウチが許さへんで!」

 

「ウツホ、アンタが今一番大事なもんはなんや?生まれ育ったこのバンカラを、家族を守れんでなにがすりみ連合や!!!」

 

フウカの叫びは震えていた。

 

「フウカ、オマエさんの言う通りじゃ。ワシが間違っておった」

 

「じゃが忘れるなよマンタロー。絶対に戻って来るのじゃぞ!」

 

「もちろんだよ、ふたりとも」

 

 

涙を流しながら静かに肩を寄せ合うすりみ連合を、居合わせた者たちはそっと見守っていた。

 

こうして各々ができる限りの最善を尽くし、ネリバースへの避難計画が始まった。

 

 

あの後、ウツホちゃんはマメデンチナマズのぬいぐるみをボクに預けてくれた。

妹弟たちの避難が終わるまでは預かっててほしい。そう言葉を残してフウカちゃんとともにスタジオに向かって行った。

2人はバンカラジオで、ヒメさんはハイカラニュースで相方が欠けた現場から街の住人に避難を呼びかけた。

New!カラストンビ部隊の3人はタコツボバレーに行き、オクタリアンの人々にも声をかけて回ったらしい。

 

イイダさんはロビー端末でボクと通話をしながらネリバースの概要やタワーの起動方法を説明してくれた。

「話をまとめると、ボクが今いるバンカラ街のタワーを起動させられれば、他のタワーも連動して更新プログラムを世界中に届けられるってことだね?」

「はい、各地のタワーから発せられる電波にのせた更新プログラムによってスタート地点の電子回路が書き換えられ、ネリバースに転移できるようになります」

 

当たり前のように説明されたが、改めて考えてみるとイイダさんの並外れた技術力があれば世界を変えるどころか、牛耳ることさえできるんじゃないかと思ったけど、話がこじれそうなのでボクは口をつぐんだ。

 

「間もなくタワーの充電が溜まりますので、あとはマンタローさんのナマコフォンから起動スイッチを押していただければネリバースへの転移が可能になります」

「この役目は現実の世界にいる人物でなければ果たせませんので、あの場にいたどなたかに担ってもらう必要があったわけです」

「ってことはイイダさんはもうネリバースにいるってこと?」

「はい、みなさんとの話し合いを終えた後、すぐにアクセスしました。管理者権限の都合上、こちらの世界からでしか制御できないデータもありますので一括してネリバース内で緊急メンテナンスを行っています」

「な、なるほど!」

相変わらず技術力が凄すぎて頭が追いつかない。

 

「マンタローさん、そろそろ最終調整を行いますので通話を切断しますが、問題ありませんか?」

「大丈夫、問題ないよ!」

「では後はおまかせしますね」

『ブツッ』

ロビー端末の画面からイイダの姿が消えた。

 

みんなと話し合いをしてからそろそろ3時間が経過する。海岸付近はもう浸水しているようだが、海水がここまで到達するにはまだ時間がかかりそうだ。

スポナーも持ったし、起動スイッチを押してすぐに飛び込めば十分間に合う。

 

イイダさんのおかげで計画は完璧だ。

 

でもこの計画、本当に大丈夫なんだろうか…

 

ネリバースを稼働させているネル社のサーバーは深海メトロの最奥にある施設で厳重に保護されているから向こうの世界での生活は心配ないと思うけど、本当にこの現実に戻ってこられるのかな。

 

少しの間、考えを巡らせているとナマコフォンから着信音が聞こえた。イイダさんからメールが届いている。

「えーと、なになに…」

『言い忘れていましたが、起動スイッチはタワーの屋上で押さなければプログラムが機能しません』

 

「…え?!このタワー30階くらいあるんだけど!」

しかし、マンタローに無駄口を叩いている余裕はなかった。

 

外で鳴り響く警報音がロビーに漏れ聞こえる。もう時間がない…!

タワーは充電中だから今はエレベーターが使えない。非常階段は時間がかかりすぎるし、なにより屋上まで体力が持つとは思えない。

じっとしてはいられず、ひとまず外に出てみることにした。

 

屋外のスクリーンにはバンカラ湾、ハイカラ湾から押し寄せる海水が車や船、民家を呑み込みながら都市部へと迫っている様子が写し出されていた。

 

とっくに日が落ちている時間のはずなのに空は赤く染まり、7つの光の輪が不気味に浮かんでいる。世界の終わりを表現するのにふさわしい光景が今まさに眼前に広がっていた。

 

どうにかして屋上へ行く方法がないか、マンタローはタワーを観察した。インクに潜って外壁を登っていけばたどり着けるのではないかと考えたが、屋上まで続く高い壁を塗る手段がない。それに仮に塗れたとしても重力でインクが落ちてしまう。

 

ふと、マンタローは自分が手にしているものを見て閃いた。

 

「これならなんとかなるはず!」

 

 

スポナーしがみつき、マンタローは離陸した。設定した目的地に向かって飛んでいく機能を利用し、空中を移動する。少し怖いが、我ながら良いアイデアだと思った。

 

タワーの半分ぐらいの高さまで上昇した頃、沖の方を眺めてみると巨大なタツマキが出現していた。

「あのタツマキ…どこかで見たことあるような」

しばらくタツマキを眺めていると視界の端で何かが落下した。それは丸っこい物体で一瞬だったため姿は確認できなかったが、その正体はすぐに判明することになる。

なぜならば、それらは上空から大量に降ってくるからだ。

「シャケー?!」

 

空から無数に降ってくるシャケの大群。これはサーモンランで経験したことがある、特殊ウェーブで起こる事象だ。

巨大タツマキによって巻き上げられ、まるでバイター目掛けて襲ってくるようにそれらは突然降ってくる。

 

「これってマズイ気がする…」

 

『ドカッ』

マンタローは空から弾丸のように落下してきた一匹のシャケと衝突した。しがみついていたスポナーから手が離れ、それまで上昇していた体が徐々に下降し始める。

インクの姿になれたとしても、流石にこの高さからコンクリートの地面に当たればひとたまりもないのは明らかだ。

 

「まさか、こんなところで」

諦めかけたその時、ボフンッと弾力性のある地面にぶつかった。よく見てみるとそれは地面ではなく、巨大なサメだった。

自分はなんとか助かったが、スポナーがこのまま地面に叩きつけられて壊れてしまったらネリバースへ避難する方法がなくなってしまう。

その時、ウツボの群れがいきなり飛んできて落下するスポナーを彼らの背中がキャッチした。

 

「ありがとう!みんな!」

 

フウカの鮫とウツホの鱓のおかげでマンタローは無事にタワーの屋上まで送り届けられた。

 

「ハァ…どうにかここまで登ってこられた」

もう既に全てを成し遂げたかのような達成感を得られていたが、まだ何も始まってはいなかった。

 

「ここからなら動かせるはず」

マンタローは急いでナマコフォンを開いて起動スイッチを押した。

その直後、タワー全体が眩しく光り、肌で振動が感じられるほどの強い電波が街中に放たれた。

同時刻、ハイカラスクエアのデカ・タワー、ハイカラシティのイカスツリーでも同様に電波が放たれ、その波紋は街全体を覆った。

 

「よし、これでプログラムは更新されたはず。あとはボクもネリバースヘ入るだけだ!」

体をインクの姿に変え、腕に抱えたスポナーに飛び込もうとしたが、何かがおかしい。

 

「動いてない?」

スポナーのバッテリーが切れていた。

 

「ええ?!これじゃあ避難できないよ」

 

どこかに他のスポナーが落ちていないか、あたりを見渡したが、そもそもタワーの屋上は普段閉鎖されているため、人が行き来していた痕跡すら無かった。

 

「そんなことって…もう2人には会えないのかな」

マンタローはその場でうずくまり、迫りくるこの世の終わりにその身を震わせていた。

タワーを起動することだけでアタマがいっぱいになって、肝心な物の充電を忘れていた。

「ボクらしい失態ではあるけど、なんでこんな時に」

 

タワーを登っている際に気がついたが、オオデンチナマズの姿が見当たらなかった。恐らく危険を察知してどこかへ飛んで行ってしまったのだろうけど、他に充電できそうなものなんて…

 

「ん?デンチナマズ?」

 

「そういえばウツホちゃんから預かったあと、スポナーの中に入れて保管してたんだった!」

マンタローが取り出したのはウツホから託されたマメデンチナマズのぬいぐるみだった。

 

「たしか背中にあるボタンを押すと…」

『ビリッ!』

 

それはいつかのバンカラジオでウツホが実演してみせた時と同じように、ぬいぐるみから小さな稲光とともに僅かな電気が発せられた。

「これならいける!」

ぬいぐるみから放たれたのは微弱な電気だったが、スポナーを動かすには十分だった。

 

スポナーが稼働し始めたことを確認すると、突如厚い雲に覆われたかのようにあたりが暗くなった。

 

空を見上げてみると、そこには先刻まで姿を消していたオオデンチナマズがこちらを睨みつけていた。

どうやらオオデンチナマズはマンタローが手に持っているマメデンチナマズのぬいぐるみを同胞の子どもだと勘違いしているようで、表情を強張らせ苛立っている様子だった。

 

周囲に立ち込める凄まじい静電気。オオデンチナマズの体はバチバチと音を立てて、怒りを表現しているように見える。

 

「え、まさか?」

オオデンチナマズは長いひげを器用に動かしてぬいぐるみを掴み、マンタローから取り上げた。そしてとてつもない轟音とともにマンタローを目掛けて雷を落とす。

落雷から身を守るためにマンタローはとっさにスポナーの中に飛び込んだ。

その瞬間、強烈な閃光がスポナーに直撃し、屋上の電灯やタワーの窓ガラスを全て吹き飛ばした。

 

オオデンチナマズはしばらくぬいぐるみを見つめた後、偽物だと気づいたのか、それを手放しどこかへ去って行った。

 

 

 

マンタローは七色に輝く光のトンネルを進んでいた。次第に視界は光で埋め尽くされ、意識が遠のいていく。

 

『ボッ!』

目を覚ますと、マンタローは暗闇の中にいた。ついに訪れてしまったのかと少しの間動揺していたが、真っ暗な視界の隅に光が漏れている穴を見つけた。

マンタローはその穴から外の様子を伺った。

 

ソファが置かれた部屋にはアタマのゲソがチリチリしている人物が腰掛けていた。

その傍らにはどこか見覚えのある毛むくじゃらの動物がクッションの上で気持ちよさそうに寝ている。

 

「コーヒーを淹れる間、私の独り言に付き合ってくれないか」

この人物は白衣を身にまとい研究者のような風貌をしているので博士と呼ぶことにしよう。

そんなことより、隣で寝ているあの猫はもしかしてジャッジくんではないか。どうしてあんなところにいるのだろうか。

「ニャッ!」

ジャッジくんは寝言で返事をした。

少し驚いた反応を示し、ハハハと笑みをこぼしてから博士が語り始めた。

「例えば、誰かが傷つけられたら自分がそうされたように悲しんだり、誰かが喜んでいたらまるで自分のことのように嬉しくなったりする」

「そんな人を想う心があれば、その心を他者へ向けることができていたら、きっと世界から争いはなくなっていたはず…」

「先の短い世界の運命。これは我々人類にとっての大きな過ち。初めはほんのささいな出来事だった」

「競い合い、高め合い、個人の腕前を磨いていく。そんな数々の対人ゲームと呼ばれる娯楽が流行り、皆は取り憑かれるように虜になっていった」

「それだけならまだよかったが、愚かな人類はその危険性を知りながらも禁忌のフルダイブ型VRを開発した」

「仮想世界で新たな自由が得られると謳われて全世界に普及され、人々はそこで人生の大半を過ごすようになり、自らの縄張りを賭けて勝負する新たな快楽に手を染める」

「やがて人類は五感だけでなく心も奪われ、多くの人間が仮想空間上で衝動的な言動をするようになっていった」

「奪われたなら奪い返す、そこに秩序など存在せず、争いの火種は仮想から現実の世界へと持ち込まれ、今もなお多くの悲劇が生まれている」

「この止まらない海面上昇も人類が招いた悲劇のひとつに過ぎない」

「魂と体が離れてしまったら、そこがどれだけ平和な世界であっても、人々はやがて心をなくし争いを始め、自らの手で世界を壊す」

「流行りという大勢の意識に流され、考えることを止めた時、人生という物語は終わってしまう…」

「そしてどうしようもない危機が迫っていたとしても、ただひたすらに神に祈りを捧げるのではなく、少しでも何かを変えようと努力し続ける者だけが人を、世界を救うことができるのだと私は信じている」

「私は最後まで足掻き、この主張を学会を通じて世界に伝えようと思う」

 

「けれど、直に終末はやってくる」

「たとえ人類が助からなかったとしても、お前だけは平和な未来を生きてくれ」

「その未来が何十年、何百年、はたまた何万年先になろうとも、お前には幸せに生きていてほしい」

「おお、愛するジャッジよ」

 

「待って…」

『ピーーーーーー!!!』

 

部屋中に鳴り響く高い音にマンタローの声がかき消される。

次第に無数の気泡で視界が埋め尽くされ、目の前が再び真っ暗になる。

 

 

「ハッ!」

「今までどこにおったんじゃマンタロー!」

焦げてボロボロになったぬいぐるみを抱えてウツホが叫んでいた。

「こんな一大事にどこほっつき歩いとったんや!ずっと2人で心配しとったんやで!」

「ふたりとも、ごめん…」

タワーの屋上から街を見下ろしてみると、そこには海原が広がっていた。一部の高い建物だけが海面から顔を出していたが、直にここも含めて全ての建物が海に沈んでしまいそうだった。

「さあ、ワシらもネリバースとやらへ避難するのじゃ!」

スポーンはフウカが持っていた。

「待って!」

 

本当にそれでいいの?

今ボクらが置かれている状況はあの世界を辿っているような気がする。

 

世界が海に沈んで、今はネリバースに避難するしか助かる方法はない。

 

イイダさんは心配ないと言っていたけれど、海が干上がるのだっていつになるのかわからないし、体を捨てて仮想空間に行ったらみんなの心は変わってしまうかもしれない。

 

博士たちの世界と同じ過ちを再現させてしまうかもしれない。

 

何か他に世界を救える方法があれば…!!

 

 

思いがけず、幼き日の記憶が蘇る。

 

「いいか、マンタロー」

「一人では乗り越えられない困難に直面したときは仲間と力を合わせるんだ」

「そうすれば、きっとどんな困難でも乗り越えられる」

「この言葉を忘れるな」

 

それは舞踏の稽古でつまづいていたボクに先代がかけてくれた言葉だった。

 

 

「仲間と力を…」

「マンタローはんの背中、光ってはる…」

マンタローは尾ビレの裏にしまっていた仮面を取り出した。

「2人とも仮面を出して!」

フウカとウツホが懐から取り出した仮面も微かに光っていた。

「家の言いつけで肌身はなさず持ち歩いておるが、一体これでなにができるというのじゃ?」

3人の手を離れ、ゆっくりと宙に浮かんだ3つの仮面は徐々に光が強まり、共鳴する。

「どうなってはるん?」

仮面に呼び寄せられるように、祭囃子を奏でながらオミコシの頭・腹・尻尾がそれぞれ飛んできた。

「なんじゃと?!」

仮面に呼応し、オミコシもまばゆい光を放つ。やがてそれは光輝くオオジャケの姿に変貌した。

天を照らすオオジャケは勢いよく海に潜った。

海面は渦を巻き、まるでミラーボールを落としたかのように忙しなく照らされる。

海の中はお祭り騒ぎだ。

次の瞬間、オオジャケが海面から激しく飛び出した。

オオジャケはそのまま空へと昇っていき、うねる海水を引き連れながら遥か彼方へ翔ていった。

「言い伝えは本当だったんだ!」

 

 

それから少し時は進み、復興を遂げたバンカラ街でいつものバンカラジオが始まっていた。

マンタローが古い書物を手に取り、読み上げる。

「今は昔 バンカラの地に 大水あり 天より下りし三つの光 渦を作りて 災ひ ぬぐひ去れり バンカラの民 三つの神輿もつて これを崇め奉るものとせり」

「これが代々バンカラの地に伝わる言い伝えだよ」

「まさか本当にその通りになるとはのう!」

「それはそうと、最近ネリバースで致命的なバグが見つかったらしいで」

「ワシらがバンカラのために奮闘していた裏で悪〜いプログラムがまた暴走しておったそうじゃ」

「みんなで避難していたら今頃どうなっていたのかなんて考えたくもないよ」

「もうこりごりじゃな」

「なにはともあれ、これにて落着やね」

 

「うん!」

「そうじゃな!」

「ほな…」

 

 

 

「カイサン!!!」